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 二尊院には二シーズン前の紅葉時期に訪れている。
その時は紅葉最盛まで1週間程早く訪れてしまい、残念な思いでその場を後にした。
今回は「紅葉の馬場」と呼ばれている参道が、「青葉の馬場」に変わった様子を楽しみに訪れた。
紅葉が見ものであれば青葉の様子もかなり期待出来そうだ。

門前で不慣れな自撮りの記念写真を撮り、さて期待通りか否か。

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門を入り見えた光景は期待通りのものだった。

そして改めて思った。紅葉の最盛は必ず観に来ようと。


 我が家の宗派は日蓮宗である。
京都では浄土宗・浄土真宗の末寺が約2割強を占め、曹洞宗、本願寺派、と続き、百数十寺院もある日蓮宗ですら漸くこれに続くようだ。
恥ずかしながら私は京の日蓮宗(法華宗)と言えば本能寺くらいしか思い浮かばない。
今まで幾度と京都へは足を運び散策を重ね合掌してきたが、日蓮宗の寺院には一度として足を運んでいなかった。

と言うわけで思い付きの気まぐれTripではあるが、日蓮宗の寺院は訪れようと決めていた。
新緑青葉の小倉山二尊院を訪れる道筋に日蓮宗の小倉山常寂光寺があるのは都合が良かった。
そして大徳寺黄梅院が特別拝観を行っていたのでここを訪れ、ついでに改修が終わる高桐院を巡る予定での上洛になった。

前回ここを訪れた時は、トロッコ嵐山駅から祇王寺に向かう一本道には訪日外国人の姿は気にならぬ程だったが、二年近く経つ間に大分様子が変わった。
常寂光寺山門至る所に欧米人の姿(白人)が目に付く。

常寂光寺の山門は新緑の中にあった。
日蓮宗の寺にしては粗末な造りの山門は、閉門しても両脇の角柱が空いているため参道がその仁王門まま見えてしまう。

山門を抜けるとその先には仁王門が青葉の中に埋もれる様に建っていた。
門の屋根が茅葺のためか、変に主張せず自然に溶け込んでいる。
仁王門から望む仁王門の先には本堂へと向かう石段が真っすぐ天空へ延びる様に見え、異空間への入口の様な不思議な光景を創り出している。

常寂光寺本堂急な石段を上り詰めると直ぐそこに本堂がある。
掲げてある額が無ければ、どこかの料亭か山荘に見間違えてもおかしくない雰囲気だ。

寺の概要をスマホで見てみる。
開山した日禎上人が小倉山の中腹に隠遁所を作ったのが常寂光寺の始まりとある。
どうりで寺らしからぬ雰囲気と納得した。

更に日禎上人の人脈には時の名立たる大名も居て、彼らからの寄付があり隠遁所から寺院へ昇格したとあった。
料亭か山荘にも見える本堂は、小早川秀明の助力を受けて桃山城客殿を移築した物で、入口の仁王門は日禎上人が出た本圀寺客殿の南門を移築した物とある。

日禎上人は、わずか18歳で日蓮宗「西の祖山」と呼ばれた大本山である本圀寺の16世住職となったと伝えられており、今流に言えば若くしてその人脈から、かなりのやり手であった事を想像させる。
多宝塔を見上げる    多宝塔    多宝塔より南禅寺方面を望む
本堂の裏手小高い所には、寺のシンボルでもある多宝塔が建ち、京都市内南禅寺方面まで一望できる。

小倉山の東斜面に、自然に溶け込む山荘の様な日蓮宗の寺があることを知ったのは収穫だった。
境内は京都寺院には欠かせぬ楓と苔が溢れ、その緑を目にするだけで心静かになる。
私の中で四季を通じて訪れるのが楽しみな寺の一つになった。

 今年の五月連休は間が無く10連休になる。
混みあう前に京都行こっかな♪
毎度思いつくと勢いTrip
二日前に家人に同行するか訊ねると「お一人でどうぞ」で速攻だった。
デイパックに荷物を詰め込み手慣れたもんだ予約を済し自宅を出た。

嵐電を降りると駅から参道が真っすぐ仁和寺まで延びている。
嵐電   御室仁和寺駅

朝の早い時間、車や人通りは少なく二王門は穏やかに迎えてくれた。
造りは南禅寺や知恩院の三門と比べると、やや女性的な雰囲気を感じる。
門の左右には阿吽の二王像が怪しげな奴と言わんばかりに睨みを利かしている。
二王門  二王像左  二王像右

二王門より望む二王門より中門二王門を潜るとその先には広大な境内が広がり、歴史的建造物一つ一つが贅沢な空間を使い配置されている。
真っすぐ僧伽藍に向かうと境内を二分するかの様に伽藍の入口となる中門が建つ。

中門東方天西方天朱の褪せた門の左右には帝釈天の配下四天王のうち、東方天(持国天)と西方天(広目天)が僧伽藍を守るように安置されている。
中門を入るとそこは清浄の域
二王門から中門までの空間とは違う様子をうかがわせている。

中門より望む金堂参道を真っすぐ進むと、正面には本尊の阿弥陀三尊を安置する金堂が低く・広く、翼のように隅棟(すみむね)を広げた美しい姿で建っている。

修復にかわ塗しばらくその場で鑑賞を続けると作業をする方が現れ何やらはじめた。
近くに寄り話しかけると、傷みを防ぐ下作業で「にかわ」を塗っているのだそうだ。
国宝や重要文化財に指定されるものが至る所にあり、維持することは並大抵ではない。

御影堂に向かう途中右に、朱に塗られた鐘楼がある。
構造が珍しく、高欄を周囲に走らせてあり、吊られた鐘は周囲を板で覆われ外から鐘を見ることが出来なかった。御影堂

御影堂は弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置してあり、質素で素朴な造りだが、ここも傷みがある様で、金堂同様「にかわ」を塗る作業を行っていた。

IMG_2737御影堂を出て、来た道を戻る様に金堂の前を横切り東に向かうと経蔵がある。
釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など六躯が安置され、内部には八面体の回転式書架(輪蔵)があり、その中には天海版の『一切経』(思想が記された経典)が収められている。
輪蔵を押して回転させることで、輪蔵に収められるすべての経典を読経したのと同じだけの功徳を得られると云われているが、仁和寺の経蔵は回転させることができない構造らしい。

九所明神経蔵の前にある石段を下り五重塔に向かうと、左奥に神事を行う小ぶりな社殿があった。
九所明神と言い、仁和寺の伽藍を守る社だそうだ。
社殿は本殿・左殿・右殿の三棟あり、八幡三神を本殿に、東側の左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神が祀られる。

五重塔五重塔は昨年の台風で被害を受け、南側には足場が組まれていた。
塔内部には大日如来とその周りに無量寿如来など四方仏が安置される。

中門から金堂へ向かう参道を横切り観音堂へ向かうが、工事中のため近くに寄る事は出来なかった。
観音堂観音堂の拝観を楽しみにしていたのだが残念である。
本尊・千手観音菩薩像や二十八部衆像の姿、仏絵師・木村徳応(とくおう)が描いた壁画は写真では見ていて、一度実物を観てみたいと思っていた。

境内のおよそ四分の一を占める御殿は比較的新しい時代に造られているが、南北に造られた庭園は素晴らしい造りの様だ。
観音堂が拝観出来る時期が来たら連れを伴い改めて訪れることにして仁和寺をあとにした。

四男の視線

2019年04月10日
おねだりPCを始めると図ったように脇に来て行儀よく座る。
PCをいじる時間が有るなら相手をしろと目が訴える。
お気に入りは布団の上で腹ばいになりお尻ポンポン。
やれやれこれで最低10分は彼のお相手だ。

 宿を七時に払い旅の主目的「足立美術館」に向かう。
安来駅で朝食をとりながら美術館のシャトルバスを待つ事を考えたが、安来で朝食がとれるか不安になり松江駅のコンビニで弁当を求め列車に乗った。
予感的中、安来駅前にも、ロータリーを出た街道にも朝食をとれる店は見当たらなかった。
駅舎待合室のテーブルをかりてコンビニ弁当で朝食を済ます。

朝一のシャトルバスには十人程の客が乗車した。

安来と言えば戦国の世、山陰・山陽八ヶ国およそ百二十万石の広大な領土を六代にわたり支配していた尼子氏(あまごし)が月山富田城(がっさんとだじょう)を本拠として構え、毛利氏に滅ぼされるまでの百七十年の間治めた地で知られるが、バスで移動する車窓の風景からは盛栄していた痕跡を見ることはなかった。
土井晩翠作詞『荒城の月』の一節を思い出した。

山の稜線に史跡として残る月山富田城跡を背に建つ美術館の駐車場には、既に五台の大型観光バスが着いていた。
何れも県外ナンバーを付けている。
マイカーも30台ほどが駐車している。
来日外国人の発信したSNSが瞬く間に拡散して、野っ原の中にポツンと建てられた美術館がこれほど世界で話題に成るとは誰が予想しただろう。
流行らせたのは海外からで流行に乗ったのは日本人てとこだろうか。

訪日外国人、特に欧米の人たちは日本に興味を持ち勉強し、時には我々日本人よりも多くを知る、訪日者らから日本を知らされることは意外にも多い。
その訪日外国人らが賞賛する美術館とはと興味津々で入館した。

ゲートを入ると広い廊下が左に右にと奥へ延び、魅せたい自慢の庭園を「これでもか」と大きなガラス越しに見せている。
順路に沿って進むと建屋右側に「苔庭」「枯山水庭」枯山水庭奥に「白砂青松庭」そして突き当りの左には「池庭」が配されている。

苔庭窓越しに目にする苔庭は、枯山水の明るく開けた庭の片隅に設けられ、植栽された松やもみじの周りに苔を敷き詰めたものだ。
思うにこの庭園の始まりが苔庭の中央に置かれる石橋右奥で、流れ込みを意識し、広大な園庭中央に作られた枯山水庭に向かい流れと広がりを表現しているようだ。
苔庭は流れの主流脇に淀む溜まりであるかのような造りに成っている。

明るく開けた空間の苔庭は、今まで観てきたどの苔庭にもない様に少々戸惑ってしまった。

借景庭園中央に位置する枯山水庭は松とツツジを多く用い、園外に望む山の峰々を借景して巧みにグラデーションを演出している。

白砂と青松庭はと言うと、美術館側説明は『横山大観の名作≪白沙青松≫をモチーフに、足立全康が心血を注いでつくった庭園です。なだらかな白砂の丘陵に大小の松をリズミカルに配置しており、大観の絵画世界を見事に表現しています。』
と…ここまで力を入れた解説をされてしまうと、ずぶの素人としては何も判らず「そうなんだ」と訳も分からず納得させられてしまう。

が…..折角訪れたのだから素人の率直な感想をのべることにする。
他意が有るわけではない。あくまでも素人の率直な感想と理解していただきたい。
庭園を一回りして「金のかかった凄い庭園」と感じた(笑)
それでも感動が沸かない。
何か乾いた…空気の流れを感じることが出来ない庭。
大観の画には動と空気(流)を感じるがこの庭園にはそれを感じることが出来なかった。
枯山水窓越し「庭園もまた一幅の絵画である」と創設者:足立 全康の言葉にあるが、絵画を意識しすぎた模写の枯山水は流れを留め、大観をモチーフしたとされる≪白沙青松≫の松には生の力強さが感じられない。
大きな窓を額に見立て絵として観るのは結構だろうが、庭園としての自然のリアルが感じなかったのだ。

かなり昔に美術の授業で、表現をする要素に点・線・面・マッスを基本に構成する事と習った記憶がある。
この庭園を観るとその要素一つ一つがそこに置かれてあり、ややもすると柔らかさより寧ろシャープな直線で構成されるように観えてしまった。

日本人の生活・文化のおお元は自然にあり、理屈抜きでその概念は遺伝子に組み込まれている。
自宅の小さな庭であっても、そこに四季を通じて和み、慈愛、反省等々を感じ、盆栽を観てはそこに生、力を感じ取る。
日本人の感性は他が及ばぬ優れたものとは言わないが、日本人の目と訪日外国人の目との違いが何となく判ったような気がした。
後に知ったことだが、庭園のバックヤードには松など樹木をストックしているとか。
庭園の樹木が成長し過ぎると植え替えて、今の現状を何時までも留めるためだそうだ。
やはりこの庭園は絵画であり、日本人の求める自然に模した庭園とはいささか離れている様だ。

二階の展示室へ進むと、大観と彼にかかわる或いは影響を与えた作者達の作品が一堂に展示されてあった。
作風が似たものもあるが大いに目の保養をさせて頂いた。

それにしても庭園に居た多くの人は何処に消えたのか、展示室にはその人混みは無く、じっくりと鑑賞することが出来たことは意外であり幸運でもあった。
二時間半庭園を含む作品を観て回り、島根に来た目的は達成できた。

今回の旅は時間ロスが多く、年齢のせいもあり結構しんどかった。
もっと楽にと、次の旅を思い帰途についた。