本日 6 人 - 昨日 12 人 - 累計 58457 人
 昨晩は徳利二本の冷酒を頂いたおかげで寝つきが早かった。
今朝は5時起き、7時半には宿を出て地下鉄駅に向かう。
私の住む地域では平日も土日も関係なく、7時半といえば駅は結構な人混みの中を歩き、電車に乗れば席は座れないのが当たり前なのだが、京都駅の朝は様子がだいぶ違う。
混まないホームから座れる地下鉄に乗り烏丸御池で乗り換えて蹴上駅へ向かった。

駅を出てゆるり下る通りを進みレンガ作りのアーチを右にくぐる。
アーチの上は蹴上インクラインと呼ばれ船や荷物を運ぶ軌道が敷かれている様だが、上がれる様子も無いのでそのまま道を進むと金地院の前を抜け中門わきに出た。
広大な公園の中に入った気分になり方位が良くわからず案内図を確認すると、南禅寺の境内の中だと判る。
三門(山門とも言う)を中心とした周囲に点在する寺院は全て南禅寺塔頭の様で、個々に見どころがあり名が知られているようだが、全てを拝観して廻ると丸一日を要してしまいそうなので、まずは南禅寺を訪れた目的である三門に向かうことにした。

特別な行事でもない限り普段は閉ざされている勅使門を背に参道を進むと、木々の緑の中、日を受けた白い石畳の参道の先にとてつもなく巨大な三門が「ドン」と控えていた。
その様に強烈な印象をうける。

南禅寺三門正面    南禅寺三門境内中より
参道の真ん中で椅子に腰かけ、しばらくこの光景を眺めていたいと思うも椅子は無いので胡坐をかいてしばし眺めた。
傍から見たら奇人変人に映っただろうが、早い時間であったので周囲を気にする程ではなかった。
三門の前に立つと石段に使われる石の大きさ、門を支える柱と梁の太さ、使われている建材の厚みなど一つ一つに驚きと建築技術に感心した。
初代の三門は1295年に創立され、1447年焼失後1628年に再建されている。

三門を訪れた目的は歌舞伎演目「楼門五三桐」で石川五右衛門の名台詞「絶景かな絶景かな」がどれだけ絶景か見たいと言う単純な理由からだ。
五右衛門が生存中は三門が焼失している時期で、実際には五右衛門が楼上より景色を見ることは無いのだが、歌舞伎の演目で取り上げるほどなので話のネタにはなるだろう。
山廊に拝観受付がありそこから階段で楼上に上がるのだが、まだ拝観時間までには時間があり職員の女性が掃除をしていた。
山廊の脇でうろうろしていると職員の女性から受付しますよと声をかけられた。
初老を待たせるには気の毒とでも思ったのだろうか、此方もいいかげん待たされる事も無く大助かりであった。
「階段急ですから手すりの縄にしっかり摑まって下さい」と言われて階段を見上げると、これが本当に急である。
四尺ほどの幅の階段は四十五度ほどの傾斜があり、デイパックを背負っていたのでややもすると後ろに引っ張られる錯覚を覚える。
途中左に折れる個所では梁が低く背中のバックが引っ掛かり少々怖い思いもした。
楼上の回廊に立つとこれがまた怖い。
回廊の架木が低く床は建屋の外に向かい逆バンクしていたため、靴下で滑ったら落ちてしまうなと連想してしまった。

恐る々回廊を中程まで進み京都市内の西方面を一望する。
樹海の中の参道を真っすぐの方向には二条城が望めるはずだが、現代では長州藩屋敷跡に建つ京都ホテルオークラの建物で遮られその周辺はビル群で京都御所の緑も確認できない。

南禅寺三門より京都市内を望む時が時であれば嵐山から亀岡辺りまでを一望でき、北側は東山慈照寺界隈が望めたであろうと想像すれば確かに絶景だったのだろう。
歌舞伎演目「楼門五三桐」の現代版「絶景」をしかと確認して楼上内陣を拝観することにした。
内陣は入室ができず回廊から中を拝見すると、受付に居た女性とは別の方が毛叩きと雑巾を手に掃除の真っ最中だった。
やはり受付にいた女性のご好意により、少々早めに受付を行なって頂いた様だ。
内陣には本尊の宝冠釈迦座像を中心に、脇士に月蓋長者、善財童士、左右に十六羅僕が配置され、本光国師、徳川家康、藤堂高虎の像と一門の重臣の位牌が置かれている。
極彩色で描かれる天井の鳳凰、天人の図は狩野探幽等によるものだそうだが、襖絵に描かれる水墨画とはまた違う筆を観る事ができる。
宝冠をかぶる釈迦像も数多くは無く、拝観には少々怖い思いをする方もいらっしゃるだろうが、一見されるのも良いかと思う。

三門の楼上に上る頃より境内に経読が響いていた。
法堂で諷経(ふぎん)が行われている様子で参道正面の法堂まで歩みを進める。

法堂内法堂の開かれた扉のむこうに釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩を観る事が出来る。
中の様子は、立ち座りに手助けを必要とする、かなり高齢の僧階が高そうな僧侶が座り、堂内を二十人ほどの僧侶がぐるぐる回りながら経を唱えていた。
初めて目にする光景と、多くの僧侶が一斉に諷経する様は迫力もあり経が不思議と心地よく感じた。




経読の始めからこの場に居なかった事を残念に思う。

境内を眺めていると何組もの女性(二人であったり、三人、四人だったり)だけのグループが向かう先がある。
後に続いて行くと水路閣のアーチが見えてきた。
境内より南禅院を遮る様に西洋建築物が東から西に走り、建設当初は賛否大騒ぎに成ったのではないかと想像する。
今ではインスタ映えを狙う女性達が水路閣だけを目当てに訪れる様で、この一角だけは朝から賑わいを見せているようだ。

水路閣写真を撮りたいのだが、入れ代わり立ち代わりとファインダーの中から人が消えるチャンスが訪れず、お仲間を撮ろうとカメラを構える女性の脇から一枚失敬させて頂いた。

時計を見ると南禅寺境内に入り二時間以上が過ぎていた。
三門でだいぶ時間を費やしてしまったようだ。
方丈に寄り虎にかかわる庭園や襖絵も拝観して行きたいのだが、次回の楽しみとして先を急ぐ事にした。


 大原からバスで京都駅まで移動した。
宿泊先に戻りシャワーを浴び、昼間のトレッキングスタイルからジャケパンに着替えて部屋を出る。
今回の京都トリップ一番の目的を果たすために河原町へいざ出陣!
宿泊先を出たところで、さて地下鉄で行くか、バスを使うかと思案しながら数歩すすんだところで、視線の先にタクシースタンドが…….勢い「河原町まで」車に乗り込んで行き先を告げてしまった。

さぁ~運転手さんはどのルートで向かうかな?っと少々期待したのだが、駅前からしっかり河原町通りへと入った。
裏道を使うかと期待してみたのだが、素人でも判る単純なルートには期待を裏切られてしまった感があった。
河原町通りと四条通りが交差するのが四条河原町の交差点で、阪急線の終点駅がここ、四条大橋を渡り祇園側が京阪電鉄の祇園四条駅。この界隈は交通量も人通りも多く四六時中渋滞している。

四条河原町交差点四条大橋から四条通りを西に烏丸までは丸井、高島屋、大丸など百貨店が並び、東国江戸でたとえると多分銀座的位置づけかなっ?
結構都会的ファッションが京都市内の中では多く見られるので多分そうでしょう。
四条河原町交差点から河原町通りを北に三条までは新京極商店街もあり、江戸浅草雷門通りと言うとこでしょうか。
都から見ると東国の田舎者が勝手に言っているので、例えが合っているか否かはご勘弁を。
で…タクシーはと言うと、案の定夕方の渋滞にはまり河原町仏光寺辺りからは這いずりモービル状態。宿を出たときに迷わず地下鉄を選ぶべきだった。

細い路地内は昭和の雰囲気がそのまま残っていた。
のれんをくぐり店に入ると女将らしき女性が迎えてくれ、名を告げると席に案内してくれた。
「とりあえずビール」のパターンは好きではないが、京都はやっぱり暑いっ。ビールの小瓶を頂き一気に飲み干し暑気をはらう。
さてさてと喉の通りも良くなったのでお待ちかねの鱧つくしと行きますか。初夏の京都の旬と言えば鱧。
今回の京都行は「鱧食いてぇ」から始まったのです。
「鱧食いてぇ」どうせ行くなら「大原行って写経しよう」も少し欲張って「あそこの店の和菓子も食いてぇ」ついでに「甘味も食いてぇ」
歴史、文化、仏教感、造形美、わびさび、等々と京都を訪れる真っ当な理由は数々あれど、今回は実に動機が単純で寂しい事か…….

料理にお勧めの酒を頼み、運ばれてくる器に箸をつける。
汲上げ湯葉、鱧骨せんべい、鱧落とし、鱧照焼きと胡瓜の酢の物、鱧の子と京野菜焚合せ、鱧焼霜、ポン酢、鱧のみじん粉揚げ、鱧しゃぶ、鱧小袖寿司と小巻
どれも鱧を感じる食感とうま味が味わえるが、やっぱり鱧の落としと鱧しゃぶは群を抜く。
落としの湯引きされた身は柔らかくふわっとした食感で、噛むほどにうま味あまみが広がり梅肉との相性が抜群。
鱧シャブは口の中でホロリとほぐれ、ほくほくの食感と出汁の風味が上品な甘みを一層感じさせている。
一品一品がこちらのペースに合わせ間合い良く運ばれ、時よりたわい無い話の相手もしていただき、食と合わせ大満足の時間を過ごさせていただいた。
「鱧に松茸もいいですよ、その時期にまたお越しください」とこえをかけられて店を後にした。

店を出て時計を見ると20時までちょっと間がある。
先斗町辺りで軽くと思い表通りまで出ると、若者のグループや来日観光客で人通りは一向に減ってはいない。
明日の予定もあることなので早々に引き揚げる事とし、歩きにくい人混みの中を丸井の前まで移動してバスに乗った。