本日 101 人 - 昨日 12 人 - 累計 58552 人
 都会と違いバスも列車も本数は限られるうえ、接続も良くないので一泊と言えど時間的には結構厳しい。
マイルでAirのただ乗りトリップ、交通費は出来るだけ安くに徹しての旅なので尚更である。

昼前に大社を後にして空いている時間で名物「出雲そば」と「出雲ぜんざい」を胃袋に収めた。
茹で方が良いのだろう、蕎麦は硬さと喉越がよく、合わせた出汁も関東のややもするとしょっぱい出汁とは全く別物、品のよい美味しさだった。
ぜんざいは大粒の小豆がしっかりと形を成し、京菓子を思わせる嫌みのない甘さが気に入った。

限られる本数のバスと列車で接続が悪い時間を使い出雲市駅から松江に向かう。

松江駅は昼時を挟む時間にも関わらず、駅やその周辺の人通りが全く少ない事。

松江駅で松江城へのバスを訪ねると、7番乗場より20分間隔のレイクラインに乗ると良いと聞き利用して松江城に向かった。
後で判った事だが、レイクラインは宍道湖周回何処で降りても均一料金で利用出来るバスで、宍道湖巡りにはお得だが、松江城までなら一般の市営バスを利用した方が30円安い。

IMG_2624県庁前でバスを降り堀に沿って天守を目指す。
大手木戸門跡より城内に入場すると正面に聳える石垣は迫力がある。
馬溜跡を抜け左へ三之門に向い階段を上る。
IMG_2625直ぐ目の前に見える天守まで九十九折の通路を歩かされるのかと思うとため息が漏れる
三之門、二之門、一之門???と意外にも複雑な通路の構造は成しておらずすんなりと天守に到着してしまった。
何と縄張りの薄い城だろうか。

IMG_2648天守は正面に附櫓の付く複合式望楼型天守。
外装は大半が黒色の下見板張で覆われ、風雨に色を失い長い歳月を感じさせる。
三階の破風は腐食によるものか傷んで見えた。
戦歴の記録はなく、築城当時からのそのままに今を迎えているのだろう。
2015年に国宝指定されている。
長野の国宝松本城は天守の外観を維持するために、毎年黒色(漆)を塗っていると聞く。

天守へは地下階から入るが最初に井戸があることに珍しさを感じた。
井戸後方の柱に祈祷札のレプリカが展示されているが実はこれが国宝指定へのきっかけだったそうだ。
天守内のいたる所に鉄砲狭間や石落が配されていて、城内の縄張りが薄いことから籠城戦を前提にした造りと勝手に想像をした。

IMG_2632 IMG_2640天気も良く最上階からの眺めは城下を360度一望でき、連なる山脈の向こうに雪をいだく大山が美しい姿をみせていた。


 マイレージの通知mailでマイル残高を見ると、結構なポイントを失効するのが分かり折角だからチョット小旅行でもすることにした。
行先は何処にするか思い回すと浮かんだ美術館がある。
来日外国人の間で人気ナンバーワンと耳にする「足立美術館」だ。
常々気にはなっており一見したいと思ってはいた。
3月の催しを検索すると「横山大観をめぐる人物相関図」展が予定されていたので彼岸前に出掛けようと早速便を予約した。

折角だから「国宝松江城」と「出雲大社」も回て行こうと欲を出したが如何せん列車とバスの接続が良くない。
一泊のスケジュールで松江に宿をとることにした。

IMG_2604深い靄のかかる早朝だったが、出雲大社の勢溜の鳥居前に立った時には天気は快晴に変っていた。
IMG_2606参拝者はちらほらと見えたが、まだ早い時間のためか祓端までの下りの参道には人影は見えない。
参道途中右手の祓社で拝礼して松の参道までのんびりと歩く。


左手に見える手水舎で清め、銅鳥居をぬけて境内に入る。
正面の拝殿で拝み右奥に進み本殿前の八足門でまた拝む。
IMG_2607 IMG_2608 IMG_2610

本殿を囲う瑞垣に沿って半時計回りにぐるりと旧暦神在月には全国の神が鎮座する東十九社、釜社、素鵞社で本殿裏手。

IMG_2617IMG_2616ここまで拝みっぱなし。
素鵞社から本殿裏手を望むと瑞垣の前に「因幡の白兎」が見えた。
近づくと二羽のウサギが合掌した姿で本殿を拝んでいる。
赤裸にされたところを救われたので拝礼でもしているのだろうか?

更に瑞垣に沿い西側に回ると本殿真横の瑞垣に見落としそうな小さな遥拝場がある。
実は本殿の中では大国主神の御神体は「西を向いている」。
従い「正式には西側が正面になる」と言うことで小さな遥拝場が設けられているそうだ。
拝む間、脇を素通りする人たちは結構いた。

西十九社の前を抜け正面に戻ると来訪者はかなりの数になっていた。


短時間(とは言っても二時間近く拝殿していた)でこれだけ頭を垂れ柏手を打つのは生涯最初で最後かな。

余計なことだが一言付け加えて置こう。
御朱印を巫女から頂くのは避けたほうが良さそうだ。
「出雲大社」の格を思うと筆が弱い

「神話の国出雲」 何かを漠然と期待しての参拝はあっさりとしたもので終わった。