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こそっと京都に「正伝寺」

 IMG_3333正伝寺山門神光院前で降り、十数分住宅地から山裾に沿うように畑の脇を抜ける道を歩く。
造園屋をみて右に折れると、臨済宗南禅寺派「正伝護国禅寺」の山門が左手に現れた。
以前なにかの記事で「デヴィッド・ボウイが愛した庭園」と記憶するが、目にして以来一度訪ねてみたいと思っていた寺院である。

英国のミュージシャンである彼は親日家で知られ、度々来日しては親交のあった米国出身で東洋美術家デヴィッド・キット氏の京都山科区九条山にあった邸宅で寛ぎその都度この正伝寺を訪れていたようだ。
映画「戦場のメリークリスマス」では反抗的なセリアズ役を演じ、ヨノイ大尉役(坂本龍一)、ハラ軍曹役(ビートたけし)と共演をしているのでご存知の方は多いと思う。
残念なことに四年前の2016年1月癌による闘病生活の末69歳で他界している。

正伝寺は鎌倉時代中期の臨済宗の僧 東巌慧安(とうがんえあん)により京都烏丸今出川で創建され、その後荒廃するも賀茂社の社家・森経久の援助により現在の地に移り、応仁の乱などの乱世を経たのち徳川家康の援助を受け復興されている。

IMG_3341参道1  IMG_3350参道3  IMG_3352参道4
IMG_3360庫裡山門から薄暗い林の中を二三分程上ると石段の先に庫裡が見える。
受付を済まし引き戸一枚を抜けると庫裡に隣接する本堂(方丈)になり、左手に枯山水庭園の前庭が目に入る。
まずは本堂中央に安置される本尊釈迦如来像に感謝の合掌。

正伝寺の本堂は伏見城御殿の遺構と言われており、伏見城から南禅寺金地院に移築され小方丈とし使われたものを、現在の地に移築している。
これらの伝来は文献資料により明らかではあるものの、建物の来歴の詳細は不明な点も多いようだ。
この本堂と、そして室内に描かれる狩野山楽の障壁画は共に重要文化財に指定されている。

狩野山楽に少しふれてみる
山楽は浅井家家臣の家で生まれ素は武士であったが、秀吉の命により狩野永徳の養子となり狩野姓を名乗り武士の身分を捨てることとなる。
豊臣家との関わりが強かった為にその後の人生には紆余曲折あったものの、永徳様式を最も強く継承しており、九条家や本願寺の御用絵師として「京狩野」を代表する存在となっている
大画様式に優れた才能を魅せると称されており、雄大な構図を持つ作品が多いなか、正伝寺にある楼閣山水図はゆったりとした構図の水墨で描かれており見所のひとつではないだろうか。

本堂中央で本尊釈迦如来像へ合掌を終えた際は頭上の天井をご覧いただきたい。
伏見城の戦で敗れた徳川家康家臣鳥居元忠らが自刃した際床に付いた血痕が、手のひらや指の形として生々しく残るのがみてとれる。
床板が天井に張られた理由は、誰にも踏まれることなく供養のために寺の天井に貼らせたといわれている。
420年の時を経たものとは思えぬリヤルな色彩には動揺してしまった(笑)

枯山水の庭園を前に縁側に腰かける。
白砂とサツキの刈込みのみで構成される庭園は「獅子の児渡しの庭」と呼ばれており、本堂のぐるりを30mはゆうに有る杉本に囲われ、東の一辺だけ開けた地形から、庭園の白壁越しに比叡山の山脈を望む借景式庭園である……………が、この本降りの雨で比叡山は低く垂れ込む雲に隠れ、本来売りである庭園のBestな様子で拝見することは出来なかった。
それでも他に訪れた者は無く、雨の音と鳥のさえすりしか聞こえぬ空間で静かに黙想する贅沢な時間を過ごさせていただいた。

IMG_3361庭園1  IMG_3362庭園2  IMG_3363庭園3

人の気配で時計に目をやると、90分程経っていた。
縁側の端に控える同世代と思わしき男性に特等席を譲り寺を後にした。