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「マイルで島根 終章」足立美術館

 宿を七時に払い旅の主目的「足立美術館」に向かう。
安来駅で朝食をとりながら美術館のシャトルバスを待つ事を考えたが、安来で朝食がとれるか不安になり松江駅のコンビニで弁当を求め列車に乗った。
予感的中、安来駅前にも、ロータリーを出た街道にも朝食をとれる店は見当たらなかった。
駅舎待合室のテーブルをかりてコンビニ弁当で朝食を済ます。

朝一のシャトルバスには十人程の客が乗車した。

安来と言えば戦国の世、山陰・山陽八ヶ国およそ百二十万石の広大な領土を六代にわたり支配していた尼子氏(あまごし)が月山富田城(がっさんとだじょう)を本拠として構え、毛利氏に滅ぼされるまでの百七十年の間治めた地で知られるが、バスで移動する車窓の風景からは盛栄していた痕跡を見ることはなかった。
土井晩翠作詞『荒城の月』の一節を思い出した。

山の稜線に史跡として残る月山富田城跡を背に建つ美術館の駐車場には、既に五台の大型観光バスが着いていた。
何れも県外ナンバーを付けている。
マイカーも30台ほどが駐車している。
来日外国人の発信したSNSが瞬く間に拡散して、野っ原の中にポツンと建てられた美術館がこれほど世界で話題に成るとは誰が予想しただろう。
流行らせたのは海外からで流行に乗ったのは日本人てとこだろうか。

訪日外国人、特に欧米の人たちは日本に興味を持ち勉強し、時には我々日本人よりも多くを知る、訪日者らから日本を知らされることは意外にも多い。
その訪日外国人らが賞賛する美術館とはと興味津々で入館した。

ゲートを入ると広い廊下が左に右にと奥へ延び、魅せたい自慢の庭園を「これでもか」と大きなガラス越しに見せている。
順路に沿って進むと建屋右側に「苔庭」「枯山水庭」枯山水庭奥に「白砂青松庭」そして突き当りの左には「池庭」が配されている。

苔庭窓越しに目にする苔庭は、枯山水の明るく開けた庭の片隅に設けられ、植栽された松やもみじの周りに苔を敷き詰めたものだ。
思うにこの庭園の始まりが苔庭の中央に置かれる石橋右奥で、流れ込みを意識し、広大な園庭中央に作られた枯山水庭に向かい流れと広がりを表現しているようだ。
苔庭は流れの主流脇に淀む溜まりであるかのような造りに成っている。

明るく開けた空間の苔庭は、今まで観てきたどの苔庭にもない様に少々戸惑ってしまった。

借景庭園中央に位置する枯山水庭は松とツツジを多く用い、園外に望む山の峰々を借景して巧みにグラデーションを演出している。

白砂と青松庭はと言うと、美術館側説明は『横山大観の名作≪白沙青松≫をモチーフに、足立全康が心血を注いでつくった庭園です。なだらかな白砂の丘陵に大小の松をリズミカルに配置しており、大観の絵画世界を見事に表現しています。』
と…ここまで力を入れた解説をされてしまうと、ずぶの素人としては何も判らず「そうなんだ」と訳も分からず納得させられてしまう。

が…..折角訪れたのだから素人の率直な感想をのべることにする。
他意が有るわけではない。あくまでも素人の率直な感想と理解していただきたい。
庭園を一回りして「金のかかった凄い庭園」と感じた(笑)
それでも感動が沸かない。
何か乾いた…空気の流れを感じることが出来ない庭。
大観の画には動と空気(流)を感じるがこの庭園にはそれを感じることが出来なかった。
枯山水窓越し「庭園もまた一幅の絵画である」と創設者:足立 全康の言葉にあるが、絵画を意識しすぎた模写の枯山水は流れを留め、大観をモチーフしたとされる≪白沙青松≫の松には生の力強さが感じられない。
大きな窓を額に見立て絵として観るのは結構だろうが、庭園としての自然のリアルが感じなかったのだ。

かなり昔に美術の授業で、表現をする要素に点・線・面・マッスを基本に構成する事と習った記憶がある。
この庭園を観るとその要素一つ一つがそこに置かれてあり、ややもすると柔らかさより寧ろシャープな直線で構成されるように観えてしまった。

日本人の生活・文化のおお元は自然にあり、理屈抜きでその概念は遺伝子に組み込まれている。
自宅の小さな庭であっても、そこに四季を通じて和み、慈愛、反省等々を感じ、盆栽を観てはそこに生、力を感じ取る。
日本人の感性は他が及ばぬ優れたものとは言わないが、日本人の目と訪日外国人の目との違いが何となく判ったような気がした。
後に知ったことだが、庭園のバックヤードには松など樹木をストックしているとか。
庭園の樹木が成長し過ぎると植え替えて、今の現状を何時までも留めるためだそうだ。
やはりこの庭園は絵画であり、日本人の求める自然に模した庭園とはいささか離れている様だ。

二階の展示室へ進むと、大観と彼にかかわる或いは影響を与えた作者達の作品が一堂に展示されてあった。
作風が似たものもあるが大いに目の保養をさせて頂いた。

それにしても庭園に居た多くの人は何処に消えたのか、展示室にはその人混みは無く、じっくりと鑑賞することが出来たことは意外であり幸運でもあった。
二時間半庭園を含む作品を観て回り、島根に来た目的は達成できた。

今回の旅は時間ロスが多く、年齢のせいもあり結構しんどかった。
もっと楽にと、次の旅を思い帰途についた。