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10-13 高野山にむかう 金剛峯寺 (11月24日弘法大師御廟より続く)

 奥の院前は、通りをはさみ大きな駐車場になっている。
場内整理員に教えてもらった喫煙所で一服をすまし、駐車場の一角にあるバス停で次発が来るのを待った。
折り返しのバスに乗り、運転手さんに「寒いですねエ~」と声を掛けると、「今朝は氷点下でしたから」「高野山はこれから寒くなります、雪もかなりの量降ります」と教えてくれた。
途中乗降者もなく下車する「千手院橋」バス停までは間もなく着いた。

金剛峯寺まで来ると、昨夜ライトアップされていた様相とは違う表門の姿があり、門前の石段には多くの参拝者が訪れていた。
門を入ると早朝の暗闇に姿を隠していた主殿が真正面に建ち、地内には歴史を感じさせる経蔵と鐘楼堂が目に入る。ともに青厳寺当時からあるものだそうだ。

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金剛峯寺は青巌寺と興山寺 (廃寺)を合併して金剛峯寺と改称され、壇上伽藍を中心とする一山の総称で、大門から御廟を含む全山で境内を形成する。
本堂は壇上伽藍の金堂となり、ここ金剛峯寺は総本山金剛峯寺及び高野山真言宗の「宗務所」であり管長が住む(方丈?)寺院となっている。
主殿の持仏の間には本尊弘法大師座像が祀られる。
「宗務所」って?  十分理解出来ていない私的解釈では、たぶん決定権をもつ役員会役員室であり、総務部業務部行政機関としての役割もあり、庁舎であり迎賓館でもあるとしての位置づけかな? 間違っていたらごめんなさい...
山門ではなく表門、本堂ではなく主殿と呼ぶのはその様な理由からではと勝手に解釈しました。
            
主殿脇の参詣口より入館し、案内に従い進むと受付があります。
廊下を先に進むと直ぐに大広間があり、斎藤等室による見事な襖絵が目を引きく。
この大広間では現在も年中行事として法会や問答などが執り行われていると聞く。
2月 常楽会(じょうらくえ)別名涅槃会(ねはんえ) 
4月 仏生会(ぶっしょうえ)
6月 内談議(うちだんぎ)
8月 盂蘭盆会(うらぼんえ)
9月 傳燈国師忌(でんとうこくしき)

大広間の奥に続く梅の間には、見識も無い私でも狩野派の筆ではないかと判るほど見事な狩野探幽の襖絵が描かれ、次室の柳の間には、柳木の豪快に描かれた山本探斉の襖絵が描かれている。
柳の間は「自刃の間」とも呼ばれその所以は、秀吉の跡目と目されていた関白豊臣秀次が突然「秀次謀反」を言い立てられ高野山に追放され、剃髪したが許されず青巌寺(当時は)の柳の間で切腹したことからだという。

IMG_3248別殿の回廊に出ると、目前には約5000坪の広さを有し、石庭では日本一の規模を誇る枯山水庭園の「蟠龍庭」(ばんりゅうてい)が広がる。
白川砂で造られた庭園の中には、花崗岩を巧みに配置することで「雄の龍」と「雌の龍」が対峙する様子が表現され、勅使門より望むと右手に雌龍、左手に雄龍が配され、中央に見る奥殿を守っていると説明にはあるが、別殿回廊からは残念ながら、その様子はおおよその感覚でしか観ることはできなかった。

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別殿から主殿に戻り柳の間を左に折れると、壁が金箔で仕上げられ、天井には装飾が造りこまれた他の部屋とは明らかに違う部屋がある。
「上壇の間」と呼ばれ、天皇が高野山に入られた際に謁見(えっけん)や応接に使用された場所で、現在は重要な儀式の際に使用しているようだ。

「上壇の間」の先には「奥書院」の間があり、皇族の休所として使われ、現在は「上壇の間」と同じように儀式の時に使われている。
落ち着きのある襖絵は「雪舟4代目 雲谷 等益(うんこく とうえき)」とその息子「等爾(とうじ)」の筆。
奥の間には独特な造りの囲炉裏が掘られている様にみえた。

「奥書院」より案内順先に進み右手奥まった大広間の裏手に、独特な構造の囲炉裏がある部屋がある。
奥書院の奥の間にも同じ構造の物があった。
この部屋は保温効果を上げるため土壁で囲まれた部屋になっており、「土室(つちむろ)」とも呼んでいるようだ。
近くに居た暇そうな小坊主さん(失礼な言い方で申し訳ない)に話を聞いた。
・この主殿の囲炉裏・竈(かまど)には排煙を促す筒状の構造が施されている
・「土室」は現在も2月に行われる常楽会の際は、囲炉裏に薪が焚かれ僧侶並びに一般の方々の休憩所として使用され、大広間で行事の際は暖をとるために囲炉裏に火をいれる。
・奥の壁には、弘法大師自筆と言い伝えられる愛染明王をお祀りし、左側に稚児大師をお祀りしている。
等々説明をおこなっていただけた。

「土室」の前、受付の裏手にあたる広い板の間は正直、金剛峯寺主殿を訪れた中で一番興味を引いた場所だ。
案内では台所となっている。
これだけの広さを持つ台所(庫裡)はなかなか目にすることは無い。
まず目についたのが大きな流し(だと思う…)、その奥には三ツ口コンロならぬ五ツ口竈(かまど)。
この竈の前には目測で二間×一間の四方に柱が立ち、床から五尺程の高さより上は四方四面が土壁で母屋まで達している煙抜きが作られている。
煙抜きの床は何枚もの一尺巾板で蓋がされており、一辺一間側には竈があり釜が3つ並んでいる。
「二石釜」と呼ばれるようで、1つの釜で7斗(約100kg)3つの釜で二石(約300kg)、人数で例えると僧侶約2000人分の米が炊けるとか。
現在は使用されていないよう。
釜の後方に廻り煙抜きの床板を開けると階段があり、降りた先が焚口になっているようだ。

寺院を巡り機会があれば必ず庫裡を観ることにしている。
庫裡を観ることでその寺院の生活が見えてくる気がするからだ。
金剛峯寺の台所をみて、この仏教都市の中心を成す存在を十分に実感できた。
訪れた際は是非台所(庫裡)を観ることをお勧めしたい。