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9-13 高野山にむかう 弘法大師御廟

 中の橋から更に御廟を目指すと、参道を歩き始めてから初めて人?に会う。
御廟の方向から僧侶が下りてきた。
奥の院参拝には、参道の入り口に架かる「一の橋」のたもとまで弘法大師空海が送り迎えをしてくれると言い伝えが残されている。
弘法大師空海の化身?「まさか」である(笑)
足を止め合掌
「おはようございます、御廟まではもうすぐですよ」僧侶より声をかけられた。
挨拶をかわし五六歩進んだところで後ろを振り向くと僧侶の姿はあった(笑)

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松平、豊臣、織田信長の墓碑をみると、その先に御廟橋が見えてくる。
あたりには、まだ参拝に訪れる者はなく、静の中木々の隙間から差し込む光の帯が広がりはじめた。
御廟橋の先は聖域とされている。橋の手前で合掌して渡る。

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正面の燈籠堂へは堂の前に用意される「塗香(ずこう)」をひと摘み掌にのせ、両手で擦り合わせ合掌して堂に入った。

弘法大師は現代においても未だ御廟の中で修行中であるとされており、燈籠堂のロウソクの火は約1200年の間1度も消えることなく燃え続けているといわれる。
また1200年続く儀式として日に二回、毎朝6時と10時30分に「生身供(しょうじんく)」と呼ばれ、大師に食事を運ぶ習があり、年に1度大師が入定した日(石室に入=承和2年3月21日(835年4月22日)には衣服も運ばれ、現在でもこの慣習は欠かすこと無く続けていると聞く。

堂の中央で合掌を行っていると十人ほどの僧侶が現れ諷経(ふぎん)を始めた。
朝のお勤めであろうか、堂内に諷経が響きおごそかで、心が引き締まる。…………が、諷経を終えると落ちがあった。
一人の僧侶がその場で「では本日の予定と………」と朝礼を始めたのだ。
その様を見ておもわず声を出すわけにいかぬが笑ってしまった。
毎朝行われる光景なのだろうが、訪れる多くの参拝者が目にすることはない光景だと思うと何か得をし微笑ましい気持ちになった。
朝礼の邪魔をしてはと笑いを堪え堂の左に出て回廊を裏手にまわった。

燈籠堂の中央真裏には御廟があり、厳密にはその堂舎の地下3mに大師が座しておられるとのことだ。
御廟の前で御廟橋を渡る際に見かけた僧侶が経読を行っていたので、献灯台にロウソクを献灯し線香を常香炉(じょうこうろ)に奉納して僧侶の経が終わるまで合掌して祈らせていただいた。

経が終わるのを待ち回廊を先へ時計回りに進むと再び燈籠堂へ入ることができ、地下へ通じる階段がある。
階段を降りた先が「大師の御影」がある地下の石室になる。
地下には奉納された「燈籠」と「身代わり大師」が並んでおり、その最奥部にお大師さまに一番近づくことができる祭壇がある。
静の地下に私一人、ここでも合掌し祈りをあげさせていただいた。

画像IMG_3228燈籠堂を出て再び御廟橋を渡り御供所に向かう。
御供所は弘法大師の食事を作っている場所で、食事は歴代の行法師たちの手によって調理されるとの事。
建物自体は奥之院の寺務所も兼ねておりお守りやお札、御朱印などを此方で授与している。

奥の院から金剛峯寺まではバスで戻ることにした。
IMG_3237画像上ってきた参道を戻り芭蕉句碑あたりで左に折れ下と、先には英霊殿があり、そこから奥の院前のバス停まで出れる。
ようやく参拝者の数も増え始め、英霊殿周辺の紅葉を背景に写真を撮る様子がうかがえた。