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連休直前の気まぐれ 9-9 (大徳寺)

 大徳寺 勅使門南門からの参道を奥に進むと、大徳寺勅使門の前に出る。
勅使門は御所の門を賜り移築したもののようだ。

禅宗寺院といえば鎌倉の建長寺が東国に居する自分的には先に来るが、大徳寺創建の宗峰 妙超(しゅうほうみょうちょう)も京より鎌倉入りし、後に京に戻り大徳寺の礎を創建している。
後醍醐天皇の庇護を受け、京都五山の上位にまで上がるも、足利政権下では五山より外され冷や飯を食う扱いを受けている。
大徳寺の盛栄期はこれ以降に始まっている。
大名・文化人・商人・貴族らの支持を受け、特に一休宗純を輩出後は「茶」の世界との繋がりも強くなり、村田珠光、武野紹鴎、千利休、小堀遠州など多くに茶人と関係が深くなっている。
安土桃山時代は歴史的には短い時期を指すが、侍の時代から表舞台で文化人や商人が活躍して多くを残した時代であり、その集大成が集まる大徳寺と塔頭群は見どころも多い。

勅使門から本坊の間にはあたかも展示されるかのごとく山門、仏殿、法堂が同じ様な間隔で直線上に並んでいる。
大徳寺 山門  大徳寺 法堂  大徳寺 仏殿
朱の山門は千利休が建造に関わっており、後に利休失脚の一因になったとも伝わっている。

静かな参道を進み総見院の門前まで来ると総見院は拝観が出来ない。
何と!土日祝祭日に限りの特別拝観になっていた。
特別拝観を行っていることは確認していたのだが、詳細まで目を通していなかった!
物凄く残念な気分になったのだが諦めて先の高桐院に向かった。

IMG_2945 IMG_2946参道より引込んで建つ高桐院の表門の前に立つと、ここも拝観出来ない。
修復が完了しているはずが、見通したたぬ拝観開始時期未定に成っている。
総見院に続き大ショック!!
自宅を出る前に、細かく確認をしなかった自分を反省しつつ参道を北大路通りまで出る。
バスに乗り京都駅に向かうも今一つ満足感に欠け、気を取り直し出町ふたばに寄る事にした。
葵橋西詰で降り横断歩道を渡ると、いつも見る店先に並んでいる列が無い。
定休日は昨日と不安な気持ちで出町ふたばの店先まで来ると、降りたシャッターに貼られた張り紙には本日は臨時休業と書かれていた。
「それはないだろ~!」
落ち込んだ!

「気まぐれ」の失敗が立て続けに起きた。
「しょうがない」と諦めるしか無いが、次回はもう少し下調べをせねばと反省。
いい年をしてと帰宅後は家人に散々いわれてしまった。( ;∀;)
家人を供わなかった事は唯一救いだった。