本日 14 人 - 昨日 12 人 - 累計 58804 人

連休直前の気まぐれ 9-8 (臨済宗大徳寺派黄梅院)

 北大路通りより南門望む北大路通りに面した塀伝いに歩くと、短い石段を上がり奥まった所に大徳寺の南門がある。
南門からは、松並木のあいだを石畳の参道が真っすぐに延びている様子がうかがえる。
門をくぐると、静寂な境内の空間が気分を和ませてくれる。
画像まだ昼時が終わった時刻だというのに、参道に人通りは無かった。
先に進むと、左手に臨済宗大徳寺派寺院の黄梅院がある。
通常は非公開に成っているが、春と秋の年二回ほど特別公開を行っているようだ。

黄梅院山門黄梅院の創建は織田信長が、父織田信秀を追悼するために作らせた「黄梅庵」という小さな庵が始まりとなる。
織田信長が急逝した際、豊臣秀吉はこの黄梅庵を信長の墓所としたが、後に同じ大徳寺塔頭の総見院に移した。
「手狭」と移した理由は大方説明されるものが多いが、深読みした話には秀吉の「思惑」があったとされるものも目にする。
今も信長の墓所があるのではと秘密めいた話もある様だが定かではない。
その後、黄梅庵は毛利元就の三男、小早川隆景により庇護され「黄梅院」と改め今日に至っている。

表門をくぐると、前庭は新緑と苔のみどりで埋め尽くされ目に優しく映る。
前庭の正面に見える庫裡は小早川隆景の寄進により建てられ、現存する禅宗寺院の庫裡では国内最古になるようだ。
庫裡より更に左奥には唐門が見える。
表門の左手には加藤清正より寄進されたという鐘楼がひっそりと建っている。
黄梅院 庫裏  黄梅院 唐門  黄梅院鐘楼

受付を済まし本堂に向かうと、外露地には真の延段がつづき格調の高さをうかがわせている。

庭園に面した回廊を進むと書院の南庭「直中庭(じきちゅうてい)」が右手に見えてくるが、まだ庭園の全景は見えない。
回廊を右に折れ書院に入ると、ようやく南庭「直中庭」の全景が目に入る。
書院前に広がる苔の美しい直中庭は、秀吉の希望により、千利休が66歳の時(天正16年(1588年頃)に作庭されたと伝わり、一面苔におおわれた庭園には秀吉が希望した瓢箪(ひょうたん)をかたどった池があり、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられ〝苔の枯山水〟とも称されている。

書院にある茶室「自休軒(じきゅうけん)」は伏見城の遺構を移したものとされ、書院に組み込まれた四畳半の茶室「昨夢軒(さくむけん)」は千利休の師である武野紹鷗(たけのじょうおう)好みとして知られる。
書院の裏手に周り茶室を見ると、「組み込まれた」の表現が理解できると思う。

書院から本堂へ進むと本堂前に広がる枯山水庭園が目に入る。
本堂の前庭は「破頭庭(はとうてい)」と呼ばれ、手前半分に白川砂を敷きつめ、奥半分は桂石で区切って苔を配したシンプルな庭に成っている。
作庭は天正年間(1573~91年)と言われ、苔の上には2体の石があり、観音菩薩と勢至菩薩を表すと言われている。
前庭の左に見える華頭窓のむこうは、表門を入った際、庫裡左奥に見えた唐門になる。

小早川隆景の援助によって建立された本堂は禅宗寺院にみる方丈建築で、中央の仏の間には小ぶりの釈迦如来を中心に、両脇には春林と玉仲の座像が祀られている。
※(説明を受けた際に春林(創建時住職)と玉仲(後を継いだ住職)の像と聞いた気がするが聞き間違いだったらごめんなさい)
室中の拭板敷は丁寧な漆塗りで仕上げてあり、独特な光沢に気が付くだろう。
面白いのは、二体の座像の顔は鴨居の上に隠れて縁側からは見えないのだが、漆が塗られた拭板敷の床に映って見ることが出来ると説明を受けた。
老眼の自分には申し訳ないが確認できなかった。

室中の障壁画は、毛利家の御用絵師とし桃山時代を代表する絵師のひとり、雲谷等顔(うんこくとうがん)の手による水墨画の襖絵を観ることができる。
『竹林七賢図(ちくりんしちけんじん)』や『西湖図(せいこず)』など重要文化財の襖絵44面がまとめて見れるのも、等顔が毛利家の御用絵師ゆえのことだろう。

本堂から庫裡に向かうと左手に坪庭がり、庭の向こうには華頭窓を通して滝を模した立石がみえる。
方丈は水に浮かのごとく、ぐるりを枯山水庭園に囲まれ、北裏側にも庭園が造られている。
北裏側の枯山水の庭園は、「生々流転(せいせいるてん)」を表した「作仏庭(さぶつてい)」と呼ばれ、北東に枯山水の滝を表す立石を配し、南への流れが、小船の浮かぶ様にみたてた石のある坪庭を抜けて、破頭庭の大海へと注ぎ込む流れを表している。

冒頭に紹介した庫裡は、現存する禅宗寺院の庫裡では国内最古となり、重要文化財に指定されている。
小さい釜は当時の塔頭での生活を推測させる。
天井が高く吹き抜けていて、梁組みの組み合わせを見ることができる。
綺麗に梁や骨組みが煤で黒く成っているように見えるが、あまりにも綺麗なので説明員に聞くと、塗装を施しているようだ。(チョット残念)
庫裏は棟積工事を昭和の終盤に行っている。
改修時に手を入れても不思議ではない。

庫裏を見学中に僧侶が出入りする様子をみかけた。
拝観を終え院内を後にしようかと踵を返すと、「住職による御朱印を受け付けます」と案内があった。
先ほど見かけた僧侶は住職だったようだ。
住職から直に御朱印を頂けることなどなかなか無いので、折角の機会だから御朱印を頂くことにした。
黄梅院の御朱印は趣向が変わっていた。
住職は対面に座ると、御朱印を授ける「人」をみて、その様子より文言を書いていただける。
意外であり、ありがたみを感じる。

聞くところによると、今回の拝観出来た意外に6つの茶室と小庭もある様だ。
次回訪れるときはそちらも観てみたいものだ。
訪れる楽しみの寺院がまた一つ増えた。