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連休直前の気まぐれ 9-6 (白川沿い散策)

知恩院古門と 黒門へ伸びる華頂道 黒門から延びる華頂道を行くと知恩院の古門に行き当たる。
正確に言うとこの古門から法然上人の御廟に至るまでは知恩院の広大な境内となっており、三門、黒門から東大路通りに至る地所は塔頭と学校法人が運営する浄土宗系の学び舎が建っている。
南門、新門、古門と三門、黒門で囲まれる地所が知恩院の境内と考えると、とてつもない広さである。
法然上人が唱えた思想は当時の旧仏教界から糾弾され、それによって法然は流罪になり、後に京へ戻るも翌年に亡くなる。
が…浄土宗徒であった徳川家康により寺域が拡大され造営は2代将軍、秀忠、3代将軍、家光と三代にわたり力を注がれた。
徳川家が浄土宗徒であったことでもあるが、目障りな朝廷への威嚇、監視、牽制に二条城とともに京都における徳川幕府の二大拠点として、政治的利用が背景にあったとも云われている。
知恩院のシンボルマークが「三つ葉葵」であることを見れば、徳川家との繋がりは強大なものであったと容易に理解できる。

古門前白川IMG_2893古門前を白川が流れここから下流に行くと、観光で人気の祇園白川の花街となり、その先で鴨川に流れ込んでいる。
ドラマのロケで使われた川沿いを上流に向かい歩くと、明智光秀の首塚がすぐ近くに在ることが分かり寄り道することにした。

IMG_2896IMG_2895首塚は狭い路地の中にあった。
逆賊光秀の遺骸は菩提寺に埋葬されたなどと諸説様々とあるが、どれも信ぴょう性に欠け、埋葬されたか定かにはなっていない。
天下に名を知らしめた大名光秀の最後を思うと、「哀れ」の一言が浮かんだ。

首塚のある路地を出ると白川に掛る一本橋がある。
首塚といわれる東梅宮があることから梅宮橋と呼ばれているようだ。
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白川と東大路通りに至る間の街並みは京都の特徴的家屋が並び、かつては京都の台所と言われる錦市場になぞらえて、東の錦と呼ばれた古川町商店街が東西に延びている。

街並みを散策して驚いた。民家の並ぶ裏路地にも外国人の姿を頻繁にみる。
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どうみても観光客なのだが何故か生活感を感じる。
正直ここに住む住民はどの様に思い日々生活しているのだろうか?

画像散策を行いながら知恩院前バス停まで戻った。
バス停は白川を渡る橋の上にあり、橋の上で釣りをする近所の人が居た。
街中に流れる白川で魚など釣れるものかと、冷やかしで声を掛けると釣れると言う。
粗末な竹竿に道糸とハリスを結び、小さな玉ウキを使った簡単な仕掛けに何と「たなご」が釣れた。チョットびっくり!!
次は何処へ向かおうかと時刻表を見ると、金閣寺に乗り継ぎなしで行けるバスが間もなく来る事を発見。バスが来るまで釣りを見て時間をつぶす。