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連休直前の気まぐれ 9-5 (知恩院)

画像 祇園でバスを降り八坂神社西楼門から境内に入る。
左に回り込み本堂裏を抜け円山公園のひょうたん池を見て左に曲がると知恩院南門に行き着く。
門を抜けると右手に知恩院の三門が覆いかぶさるように現れる。
南禅寺の三門も巨大だが知恩院の三門も負けてはいない。
知恩院三門どちらが大きいかは別にして、印象をたとえで表現すると、知恩院は「慶応ボーイ」、南禅寺は「早稲田のばんから」で判るだろうか。

8時前の三門前に一般拝観者の姿はなかった。 だが、少々様子が違っていた。
三門には飾り付けが成されてあり、黒いスーツ姿の寺院職員らしき男女が忙しく何かの準備を行っている様子。
近寄って伺うと「ギョキダイエ」の準備と聞こえた。
「ギョキダイエ」???
スマホで検索してみた。

ぎょきだいえ(御忌大会)とは
法然上人がお亡くなりになられた日を期して行われる忌日法要。知恩院で一番大きなかつ重要な法要。
当初は1月に勤められていたが、明治10年から4月に勤められるようになり、4月18日午後から25日午前中までの8日間、日中・逮夜の各法要が勤められる。
・・・・・・・とあった。
男坂1知恩院の行事を見ると、2019年4月18日(木) ~ 25日(木)御忌大会(ぎょきだいえ)とあり、今日は 叙任式(「僧階」等の「進叙 叙任式」)に成っている。

職員らしき方に境内に入れるか聞くと、一部を除き普段通りとの事だったので三門を通り男坂の石段に向かう。

男坂3男坂の石段は下から見た感じはちょっと傾斜があるかなっ・・・程度だが、上り始めて中段辺りで振り向き三門を望むと、これが結構な傾斜であることがわかる。
日本放送協会の番組「ブラタモリ」で、八坂神社から慈照寺までのラインで断層による高低差がある事を放送していた記憶があるが、知恩寺の三門から阿弥陀堂までの高低も活断層によるものだろうか。

唐門予想以上だった石段を登りきると平らな境内になる。
境内は南北にはしる塀が設けられ、四脚門で東に伽藍、西に方丈と仕切られている。
御影堂の北側にも大方丈につながる唐門があるが、普段は閉門されおり通ることは出来ない。

石段を背に最初に目に入るのは境内の真ん中に法然を祀る御影堂(本堂)。
石段を登り切った直ぐ左には多宝塔とその奥に本尊阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂があり、更にその奥に方丈へ向かう四脚門がある。
御影堂を左に観て奥に進むと正面には一切経が収められる経蔵が建ち、経蔵の後方には小さな池を渡り納骨堂が設けられている。
御影堂    霊塔(多宝塔)    阿弥陀堂
経蔵納骨堂納骨堂まで進むと後方の斜面より、低く響く鐘の小さい音と、小声で経を唱える数人の声がうっすらと聞こえた。
阿弥陀如来と四天王が祀られる宝佛殿(新しい納骨堂)の脇から、鐘の音のする斜面中腹に延びる急な石段を上ると、正面に日本三大梵鐘の一つにも数えられ、重要文化財の大鐘楼が雑木に囲まれた空間の中に「ドンッ」と建っていた。
重要文化財に指定されるにしては無防備で存外な気がした。
大鐘楼至坂   大鐘楼2   大鐘楼3
来た石段を戻り、御影堂の裏手北側斜面に向かう。
参道から御廟へ続く智慧の道3参道から御廟へ続く智慧の道境内の一番高いところに法然上人の御廟が建っている。
御廟に向かう石段の登り口には法然上人の立像が置かれ、真っすぐ上りの石段が続く。

御廟入口勢至堂やや小ぶりな四脚門のある山寺が御廟の入口に成る。
門を抜け直ぐ左には鐘楼があり、真正面には知恩院で現存する最も古く、建立当時は本堂であり、法然上人が臨終を迎えた勢至堂が建つ。
小さな空間の山寺は知恩院の原点だった。

御廟2御廟(法然上人ご遺骨ご奉安)門右手には境内から更に一段高く、厳かな雰囲気の中に拝殿があり、その奥に法然上人を祀る御廟が建てられている。

御影堂まで戻ると漸く境内を訪れる人が増え始めていた・・・が、一般拝観者の数より僧侶の数が多くを占めていた。
僧侶は皆、阿弥陀堂まえで合掌を行い、方丈へ向かう四脚門を抜け武士門へ入っていった。

黒門御忌大会が行われる中、雰囲気的に方丈の拝観はあきらめた。
気まぐれとは言え、行事はしっかり確認して次回はゆっくりと方丈と庭園を拝観しよう。
女坂を下り、黒門を観て知恩院を後にすることにした。