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ぶらっと京都(初夏2)三千院で写経

 翌朝は七時半に宿泊先を出て大原へ向かった。
まだ時間が早いのか京都駅地下街の人通りはまばらだ。
「地下鉄・バス乗車一日券」を改札わきにある券売機で買求め地下鉄に乗った。
車両には結構乗客が乗っている、よく見ると学生が多いことに気付く。
京都御所辺りを中心に東西南北と京都駅北域は学校(主に高校大学)が多く点在している様だ。

国際会館駅で地下鉄を降り、バスに乗り換え高野川沿いを更に奥へ進む。
上橋、八瀬駅前までは以前訪れていたが、ここから先に進むのは今回が初めてである。
高野川の流れが進行方向に対し右側から左側に換わると道は細くなった。
バスの乗務員は慣れたハンドリングで軽快に運転をしているが、車速は結構出ていそうだ。
三十分は要していないと思う。車窓の外が開けた光景に変ると大原のバス停に到着した。
田舎のバス停がポツンとある光景を想像していたのだが、降りてみるとバスの折り返しロータリーに成っていて、広い待合所や案内所まで併設していた。
メモで道順を確認して目の前の横断歩道を渡ると、参道への案内板が目に入る。

案内板に従い足を進めると途端に道幅は狭くなり上り道になった。
川幅の狭い小さい川を渡り右に折れると、道幅は更に狭くなり川に沿った道は木々の枝葉が日を遮り、心地よい風を感じながら上りを進んだ。
「あと少しですよ」と開店準備をしていた土産屋の店員が声をかけてくれる。
他に坂を上る人は二人ほどいたが観光客には見えず、土産屋か食事処の従業員ではないかと思う。

三千院門跡バス停から10分ほど上ると「三千院門跡」の碑が建つ開けた場所に出た。
石段を上り切り小砂利の敷かれた道の右側は三千院の石垣が続き、左側は土産屋や食事処が軒を連ねている。
ここへ来るまで、昼飯はバス停近くまで下りなければ摂れないのかと心配したのは全く愚であった。



三千院御殿門「御殿門」を正面に観る。
石垣積みや門の構えは実に堅牢な造りに見え、これが寺院の御門かと思った。
「狭間」が無いだけでまるで城門城壁を連想させる造りだ。


気になったのでほんの少し調べてみた。
・三千院は延暦年間(782‐806)に比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)に始まる。
・平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となった。
 門跡(もんせき)は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院で鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのものの寺格を指すようになり、それら寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。
・時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わる。
・明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称される。
・明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる。
・城門城壁を思わせる石積みは城廊技術に長けた穴太衆(あのうしゅう)の手によるもの。
要は、大原の地に根おろした歴史は浅いが、生立ちも、血筋も、高貴な由緒正しい寺なので、それに相応しい風格の造りの寺だと言う事だろう。

「御殿門」をくぐり左へ石段を上ると拝観の受付がある。
受付で写経の申し出を行うと、中に僧侶が居るのでそちらに声を掛けて下さいとの事。
下足をビニール袋に入れ、持って建物の奥に進む。
中書院で案内を行っていた僧侶に写経の申し出を行うと、中書院内の写経場に案内された。
引戸を開けるとけして立派とは言えない、小さく少々暗い部屋に座机が並べられている。
僧侶は簡単な手順の最後に、書写は奉納しますので、上座にある三方に載せて退室してくださいと説明を終え部屋を出て行った。
開かれた障子の外は建屋の隙間に造った粗末な中庭があり、外光が採れる濡れ縁側の座机を前に座った。
時計をみると九時、隣接する客殿には数人が訪れている程で、静かの中で写経を始めた。
凡々な日々を過ごすなかで、筆を持ち、書を行うのは年に数えるほど。不思議と筆を手にすると背筋がのびる。

IMG_2558写経を行うのは初めての事、台紙に目をやる。「魔訶般若波羅蜜多心経」
印刷されているのは般若心経だ。
思想の核となるものを最も短く述べる経と聞いていたが、意味を問いたことは一度もない。
経を胸の中で唱え、正確に写す事よりも自分の字で筆を進める事に集中した。

写経を終え時計を見ると、始めてから一時間以上が過ぎている。
自身では三、四十分で終えたと思っていたので、人の感覚とは如何に曖昧かということだ。
書写を三方に載せ合掌。
頭がスッキリしたのか何なのか、理由は分からないが、写経を終えて爽やかな気持ちに成っていたのは気のせいだろうか。

客殿は既に多くの拝観者が訪れていた。
聚碧園を正面に望める場所には、鑑賞をする人が二重三重と座り、その後ろにも立って眺めているので、庭は人のブラインドで遮られていた。
仕方なく円融房につながる渡り廊下側より鑑賞する事にしたが、臨場感に欠け印象が薄いものとなった。
写経を行う前に鑑賞を済ませておけばよかったと後悔する。
結局正面より庭を鑑賞するのはあきらめた。

客殿から廊下を宸殿に進む。
短い階段を上がると回廊になり、左へ折れ宸殿の正面に出ると宸殿は三間に別れているのがわかる。
左の西の間は歴代住職の尊牌が並び、中の間は護摩でも焚くのだろうか、若い僧侶が忙しなく手を動かし仏具の手入れを行っていた。
右の東の間には天皇陛下を迎えた際の玉座があり、虹が描かれた襖絵があることから虹の間とも呼ばれるようだ。


宸殿を背にして楽しみにしていた有清園を望むと、何と!六月初日から始まった瓦葺き替え工事による、足場と飛散物防止用のシートが視界を塞いだ。
青葉と苔に覆われた静清とした光景がぁ~×○▲■❢❢。。。。。。。。。
楽しみにしていただけに気分は一気に⤵
気を取り直し、宸殿を下り景観を遮る足場の前に出て園庭を観る。
杉檜の枝葉の隙間から木漏れ日が差し、青苔を照らす様は期待通りのものがあった。

三千院有清園左  三千院有清園中  三千院有清園右
来年の今頃は工事も終了する予定なので、再訪の機会には宸殿の回廊から一望してみたいものだ。

有清園の緑の空間は「往生極楽院」から「朱雀門」「わらべ地蔵」の弁天池まで続いている。
往生極楽院には国宝に指定される阿弥陀三尊像が納められており、天井には天女や菩薩が描かれ極楽浄土の様子を表していると説明にはあるのだが、描かれる天女や菩薩の姿は堂の下からは見て確認は出来なかった。
阿弥陀如来像は、堂の納まる間とのバランスが悪いのか異様にデカく見える。
一見愛嬌のあるお顔にも見えるが、瞼が下がり薄目を開けてこちら側を見下ろす表情は、体がデカい故に一層不気味に見えてしまう。
熱心な信者でも無く未熟者ゆえご勘弁いただき、合掌してその場をはなれた。

さて順路に従い次は弁天池脇へ。
カメラを構える女性で、そこだけが人だかりになっている場所には「わらべ地蔵」が見えている。

三千院わらべ地蔵   わらべ地蔵 2   わらべ地蔵 1
老いも若きも女性はみな同じように「可愛いィ」を連呼して、何体在るのか分からないがアングルを替えて写真を撮っている。”インスタ映え”と言うやつか。
寺の職員らしき人に後で聞いたところ、弁天池脇には六体の地蔵があるようだ。
実は同じような地蔵は往生極楽院の東側の斜面や石仏周辺にも有るそうだが、関心は全く持たれていない様である。
認知度が乃木坂46と地下アイドル以下の差、とでも言う事なのだろう。

ここまで観て拝観目的をほぼ満足したのだが、この時期あじさい苑も立派だと聞いた。
私の住む地域には市町村数が三十三あり、あじさいで有名な寺や公園等がいくつかある。
比べるわけでは無いが話のネタにでもとあじさい苑を観て回ることにした。
途中に弁財天が祀られる前を通る。
京都七福神の一だそうだ。商売人の方は足を止めお参りされてはいかがだろう。

三千院 あじさい苑あじさい苑は金色不動堂下の西に面した斜面(たぶん)にあり、一面に花が咲き誇っていた。
杉檜の山間に、あじさいがこれだけ纏まって咲いているのは結構圧巻であった。




ここまで境内の奥へ上がってきたので、折角だからと観音堂まで歩いた。
あじさい苑より奥に建つ堂等はごく最近になり建てられたものばかりで、保管される秘仏などを除くと興味をひく物も無く、ほぼ素通りをして朱雀門まで戻った。

三千院 朱雀門庭園内より境内から観る朱雀門は朱塗りが強いだけの小さな門としか見えず、門の両脇にある石垣も周囲の樹木や苔で覆われ存在を隠している。
門を背にすると参道は真っすぐと往生極楽院につながり、周囲は有清園から連なる緑の空間が広がっている。
脳裏に光景を焼き付けて境内の拝観を終える。

御殿門を出て石垣伝いに左へ足を進めた。
今朝見た「三千院門跡」の碑を左に巻き、人通りの無い、樹木に覆われる狭い上り道を行くと左手に石段が見える。
三千院 朱雀門境内外より正面に立つと、朱塗りの門が両脇を堅牢な造りの石垣で囲われ、苔で覆われる石段と調和して神々しい姿を魅せていた。

今は閉扉されている朱雀門だ。
境内から観た印象の薄い門からは、これだけ主張している様子を想像することができなかった。

かつてここを訪れた者は、この神々しい門をくぐり、緑の神秘的な光景が広がる境内の中を阿弥陀如来像が鎮座する極楽院の前まで進んだ。
そこは極楽浄土に舞う天女や諸菩薩が描かれ、訪れる者を極楽浄土へと導き安らぎを与えたのだろう………………………………………などと妄想をしてみた(笑)

門を後にする前に今一度辺りをゆっくりと見廻す。
樹木に覆われたうす暗い上りの小径、強烈な異彩を放つ朱色の門、神秘的な緑の空間、如来像の穏やかな面、天女舞う本堂。
「んっ」と思った。
全てが巧みに計算された演出か………………………………………と。
俗世に生きてきた者はどうも素直に物事を見ないようだ(笑)
時計を見ると12時を指していた。
丁度昼時、軒を連ねる食事処で飯にすることにし、三千院を後にした。