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マスコミ報道への懐疑

 神奈川県医師会のメッセージを紹介した際に、二三行触れたTV報道の姿勢にもやもやしていた。
以前はキャスターの発信する内容は客観的にアナウンスされていた。
新聞紙面で発信される各配信社の言わんとしたい多角的切り口での発信と同様に、冷静かつ客観的にアナウンスされていた気がする。
そこには道楽的な面白みはなかった。たまに気の利いたユーモラスなコメントはあったが、それは鋭い指摘を含んでいた。
キャスターはそれでいいと私は常々思っている。
そこに発信している者の主観的説明が少しでも加わると、事実とは別物に成り印象操作にも成ってしまう。

印象操作と言えば、それを意図的に報道に用いて大衆の扇動に成功したヨーゼフ・ゲッペルスの名が浮かぶ。
彼はナチス党政権下のドイツにおいて、ヒットラーの下で宣伝大臣を務めた人物だ。

彼の手法は「嘘も百回言えば真実になる」ゲッペルスは大きな嘘ほど真実に見えるとも言っている。
これは「大きな嘘ほど大衆は疑わない」と云う事で、更には「娯楽の中に宣伝を織り交ぜながら、相手に宣伝と気づかれないように行い、宣伝したい内容をキャッチフレーズ化し、あえて強調・連呼せず、視聴する者の心理にある不満・欲望・疑問を遠まわしに刺激し暴発させる、授業に付いて行けない生徒の為にその授業の速度をクラス全体が合わせる様に、知識レベルの低い階層に合わせた宣伝を心がける」などと大衆真理を知りつくしている。

現代のマスコミがこの手法を行っているとは言わないが、おそらくは視聴率UPの単純な理由で演出過多は間違いない。
政治・経済に多くの興味関心を持たない者には、馴染みのない政治家や専門家の顔や名前は判らなくても芸能人の方が遥かに認知度が高い。
怖いのはそこに立つMCなどが広い意味で芸能人であり、ひな壇に並ぶ補足解説者が同じく芸能人であったり、畑がチョット違う専門家であったり、或いはエセ専門家とか評論家であったり。
ゲッペルスが指す既に「大衆」がひな壇に居て、その場にいる者は無意識の内に結果として扇動を起こしていることにある。
番組出演者による悪意なき無意識による扇動は、大衆が気がつかないうちに刷り込まれてしまう。
いつもその怖さを感じているのだが、私同様の意見を電子紙面のコラムで目にした。
独り言の域ではあるが参考までにupする。興味があればご覧いただきたい。
産経新聞コラム テレビは演出排せ
PV目当ての「タレント発言垂れ流し」はメディアの仕事なのか  JBpress
江川紹子氏  報道番組の主張にダメ出し 「誰もおかしいと思わないのか」
なぜワイドショーは「個人的な意見」しか言えないコメンテーターを重用するのか/鎮目 博道